不朽の青春バスケ漫画スラムダンク。
スラムダンクの中でもトップクラスの人気実力を誇る湘北の一年生エースの流川楓。
流川のモデルがマイケルジョーダンなのはご存知でしょうか?
流川とマイケル・ジョーダンには多くの共通点が存在します。
今回は流川のモデルがジョーダンとわかる10コの共通点を写真と共に振り返ってみます。
流川とマイケル・ジョーダンの10コの共通点
流川とジョーダンにある10コの共通点をご紹介します。
背番号23
流川の背番号は11番ですが、湘北の上級生対1年生で行われた試合では23番のビブスをつけていました。
高校バスケの背番号は4~18番のため、作者の井上氏は流川にジョーダンと同じ23番をつけることができなかったのだと思われます。
ジョーダンの背番号23番はジョーダンの兄に対するリスペクトからきている。
ジョーダンにはバスケットをプレーする兄がいて、幼いころからバスケットの手ほどきを受けていました。
その兄がつけていた背番号が45番で、その半分以上は上手くなりたいという思いで、ジョーダンは23番を選んだのです。
左肘のアームバンド
流川とジョーダンはともに左肘に必ずアームバンドをつけています。
ジョーダンは当時のNBAのファッションに革命を起こしていて、膝上のショートパンツを流行らせたのもジョーダンでした。
そんなファッションのこだわりが強いジョーダンのDNAも流川に共通しています。
バッシュ
流川はエアジョーダン5を着用しています。
ジョーダンも当然ながら自身のブランンドであるエアジョーダンシリーズを着用していました。
個人的にはジョーダン5はジョーダンシリーズで一番好きなデザインです。
シュートフォーム
流川とジョーダンのシュートフォームはまさに生き写しレベルですね
打点が高く美しい。
ドライブ
状態を低くした流川とジョーダンのドライブはシュートフォーム同様に生き写しレベルです。
オフェンスの鬼
流川とジョーダンはともにオフェンスの鬼で、高い得点力を誇っています。
流川は中学時代に一試合で50得点をとったことがあり、一方のジョーダンは一試合63得点をとったことがあります。
どちらもオフェンスの鬼ですね。
両目を瞑ったフリースロー
流川とジョーダンはともに両目をつぶってのフリースローを成功させています。
インターハイ一回戦の豊玉戦で、南から肘打ちを受け片目を負傷した流川は、後半を眼帯をつけてプレーしていましたね。
片目で見るからシュートがぶれると言って、両目をつぶってフリースローを成功させていました。
この偉業には桜木も発狂していましたね(笑)
一方のジョーダンは、対戦相手の新人選手のムトンボに実力の差を見せつけるために両目をつぶってのフリースローを打ったことがあります。
その際ジョーダンはムトンボにこう言い放ちました。
「これがNBAだ」
by マイケル・ジョーダン
負けず嫌い
流川が負けず嫌いなのは周知のことだと思いますが、これはマイケル・ジョーダンの異常なまでの負けず嫌いさからきているのかもしれない。
「負けず嫌いのサイコパス」とも呼ばれるジョーダンは、次にするプレーを予告したことがあるのです。
そして見事予告通りのプレーを決めたジョーダンは、相手ディフェンダーを完膚なきまでにひねりつぶしました。
流川の勝負にこだわるメンタリティーは、完全にジョーダンからきていますね。
弱小チームを強くする
流川は弱小の湘北を、ジョーダンは弱小だったシカゴ・ブルズを強豪チームに変貌させました。
これには、湘北、翔陽、海南、それぞれにNBAのチームがモデルになっていることが関わっています。
ご存知の方も多いと思いますが、湘北はシカゴ・ブルズ、翔陽はボストン・セルティックス、海南はロサンゼルス・レイカーズがモデルとなっています。
しかも当時のNBAの勢力図までも反映されているのです。
ジョーダンがNBA入りした当時は、セルティックス、レイカーズの二強時代で、これは翔陽、海南の二強時代となっている神奈川県の勢力図にも繁栄されていますね。
ジョーダン同様に流川も弱小チームを強くさせるために現れたのでしょう。
パスを覚えてから進化
ジョーダンはルーキー時代から持ち前の得点力で活躍しましたが、味方を活かすパスを覚えてからさらに次のステップに進みました。
このあたりも山王戦で流川がパスを覚えてステップアップしていくところ共通するところですね。
まとめ
スラムダンクでトップクラスの人気実力を誇る流川と、モデルとなったジョーダンには様々な共通点があることがわかったのではないでしょうか。
外面から内面まで細かい設定までがジョーダンがモデルとなっていて、流川というキャラクターが出来上がったでのでしょう。
そんな流川が主人公じゃないところがスラムダンクの凄いところですね。
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